アート作品(絵や写真・彫刻など)を購入した経験はありますか?
ここ数日、芸術関連の記事を目にします。
「芸術・美術系学校出身者は卒業後が厳しい」といった記事が元となった一連の記事は、どの内容も興味深く読ませていただきました。
しかしながら、モヤっとするわけです。
「芸術・美術系学校出身者は卒業後が厳しい」っていうのには同感なのですが、肝心な大元の理由にあまり触れられていないと思うのです。
厳しいのは当たり前なのですよ。
この国の文化に、アートは根付いていないのだから。
※芸術やら美術やら面倒なのでここではまとめてアートと呼びます
大学に行く以前に日本でアートをすること自体が厳しい
僕が最初に読ませていただいたのはこちらの記事。
こちらのユーリオさんの記事を読んだ段階では、あーあるある、とか思いながら読ませていただいていたのです。
丁寧でわかりやすく興味深いのですが、若干モヤモヤしました。
芸術系出身者が厳しいというのはわかるのですが、その根本的な理由にあまり触れられていなかったからです。
ユーリオさんが上記記事を書くきっかけとなった記事の冒頭にその理由がさらっと書かれています。
現時点で日本においてごく限られた世界ではありますし、海外と比較してもこれほど優遇されていない世界は珍しいのではない事かもしれません。
それだけ絵で食べていく事は困難を極めますし、それこそ運と才能によって左右される業界は珍しいとさえ思えてしまう程です。
これです。
美大や芸大に行ったあとが厳しいってよりも、アートで食うことを志すこと自体がこの国では厳しいのですよ。
日本の文化にはアート(美術)が根付いていない
以前の記事にも書きましたが、日本の文化にはアートは根付いていません。
その国に芸術が根付いているかを確認するにはいくつかの質問をすればわかります。
- アート作品をこれまでに(特に社会に出るまでに)買ったことがありますか?
- 自宅に絵や写真などアート作品が飾ってありますか?
- 身近な人にアートを生業としている人がいますか?
いかがでしょう。
ひとつもYESではない方もいるかと思います。
例えば、親にアート作品を買う習慣がなければ、その子供にも当然ながら作品を買う習慣は身につきません。
文化に、生活に、アートが入り込んでいないのですよ。
そんな中でアート作品をみせたところで買ってくれるわけがない。
「芸術・美術系学校出身者は卒業後が厳しい」のは当然なのです。
学校は単なる選択肢
先に言っておくと、僕は美術系専門学校の出身。
デッサンなんてもう、美大の方とは比べるのもおこがましいくらい下手です。
でも、ドイツのベルリンで一年間、作品(絵・写真)を売った金だけで生活したことがあります。
三木さんの記事も読ませていただきました。
学校をどこにするかなんて関係なくて、本人の意思次第だと僕は思うのですよ。アートが好きなのかどうか。
なににしろ、「有名大学以外はやめといたほうがいいよ」っていうのは正直いただけない。
これまた何事も本人の熱意次第、というところに帰結してしまうのですが、そもそも有名大学でなくてもいいでしょう。
というか、学校でなくともいいでしょう。
なぜ、アートの道を進むのに学校に行くことしかないのか、これも疑問なのですよ。
それも日本で。
卒業してからは本人の自由、というのであれば、なおさら疑問を持ったほうがいい。
また、親と子、という面で考えるのであればやはり費用かかりますし、本気で親も子どもがアートを志していると感じるのであれば、その金でアートの本場にでも修行の旅に行かせてあげたほうがよっぽど良い経験になるのではないでしょうか。
学校は単なる選択肢。
そりゃ芸大に行けば知識や技術はそれなりのものになると思いますが、知識や技術で勝負したところで限度があります。
上には上がいますしね。
アートで食いたいなら、アートで食っている人たちがいる環境で揉まれたほうがよっぽどいい。
アートとデザイン
本気でアートを志すなら海外に行ったほうが良いと僕は思います。
本場でやったほうがいいから、です。
文化に根付いているのですよ。
ということは生活に浸透しているのです。
作品も、買ってもらえます。
デザインをすればいい、という声もあるようですが、デザインとアートは別物です。
アートは主観的なものなので、伝わることが成功とされ商業化された客観的な要素が基礎となるデザインとは異なります。
デザインは日本の文化に定着しています。
日本には、「人からもらえるもの」を受け取る文化はありますので、デザインは生活に浸透するのですよ。
アートのように、万人が良いと思えるようにと設計していないものが日常に入り込んできた時、「それが何であるのか」といったカテゴライズしたいという意識が人には生まれるのです。
その意識の中で人は良し悪しを決めますが、個性を非とする日本では、個人としての気持ちよりも万人がどう思うか、という意識が強くなってしまいます。
結果、「アートはわからない」という言葉に集約されていきます。
わからなければ人は買わないのですよ。
メディアに取り上げられるなどして『商品』になっていないと、この国ではそうそう売れないのです。
まとめ
アーティストを志している友人が、僕には何人もいます。
彼らにとっては、切実な問題のはずです。
アートが受け入れられる場所は、『自分で決めた良さ』を大事に、またその『それぞれが決めた良さ』を尊重する文化があるところです。
『人が決めた良さ』をそのまま受け入れる文化ではありません。
もっと視野を広げてもいいと思うのですよ。
アートを志すにも、選択肢はひとつじゃないのですから。
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