休日。それは仕事の準備をするための日では決してない。
「有休を取っても楽しめない」「給与が下がっても勤務時間を短くしたい」という方が多いとのニュースをここのところよく目にする。……サラリーマン時代には僕もそんな風に思っていたことがあった。有休は取れず、週休1日。その貴重なはずの週末の休日すら、1日中仕事のことを考えていた。
家族と出掛けていようと、風呂に入っていようと、頭に浮かんでいるのは「明日の仕事」のことだった。
「協調性」という言葉に縛られていないか
休日は仕事から離れ休む日。それすらまともにできなくなってしまっている。
上記記事では、有休を取っても仕事のことが頭から離れないという悩みを持つ人が多いと書かれている。有給取得に罪悪感を感じる人の割合も、国別で日本は18%とダントツ1位だそうだ。
悪しき協調性。
古くから、日本は個を尊重する文化ではなく、協調を尊重する文化であるのはわかる。有休を皆が取っている環境でなければ、取りづらいのもわかる。しかしながら、真っ当な権利として与えられている有休を取ることができない環境は、やはりおかしい。
とはいえ、きっと行動をするのも簡単ではないだろう。
有休取っても楽しめない、といった記事を読んでいる際に、こんなコメントも寄せられていた。
「社会人なら有給なんて普通使わない。有給を使う人は協調性も常識もない。」
刷り込まれた協調性と常識
「有給を使う人は協調性も常識もない」この意見には恐怖すら覚える。
協調性や常識、それは誰が決めたことなのだろう。会社か、国か。「協調性がない」「常識がない」と言われることの大半は、「大多数が正しいと言っていることから外れている」という意味のような気がしてならない。そこには自分の意見は入っているのだろうか。ただただ、皆がそうしていることだから同じようにしたほうが良いと考えてはいないだろうか。
【悲報】日本人がもはや完全に疲れている件 「給与が下がっても勤務時間を短くしたい」で世界1位
上記記事でも、「休むことに罪悪感を抱く日本人」と書かれている。罪悪感を抱いてしまうのは、皆があまり休まないからだろう。そのなかで休んでしまうと、非常識で協調性が欠如した人間とレッテルを貼られるのだろうか。
そこでもう一度自分に確認したほうがいい。それは正しいことなのだろうか?と。
人生で持ちうる時間は有限 そして仕事がそのなかで占める割合はあまりにも多いのだ
有給を取れない、残業が多い……それが正しくないと思っていたとしても、家族のため働かなければいけない等、仕事に多くの時間を費やす理由はあるだろう。
我慢をすることが仕事、そう言う人もいた。「我慢ができない人間は仕事ができない。楽をしている」と。彼は有給を取らないどころか休日も出勤し、残業を続けて身体を壊した。
やりたくないことを我慢しながらやることだけが仕事ではない。我慢しなければ「頑張ってない」のか、いやそれは違う。それぞれが様々な理由を抱えて生きている。自分が受け入れられないというだけで、他人の生き方を「楽している」とは言えないはずだ。
「今日が人生最後だとしたら、今日やることは本当にやりたいことだろうか」
スティーブ・ジョブズ
時間は有限なのだ。僕らは、いずれ死ぬ。
休日にも仕事のことを考えていないだろうか。それは会社のためだろうか?金のため、家族のためだろうか?本当に、そうなのだろうか。休日は仕事の準備をするための日では決してない。
他人の言うことや視線ばかり気にしていてはいけない。自分と向き合うべきだ。そして、有意義に時間を使ったほうがいい。
人生の限りある時間のなかで、仕事が占める割合はあまりにも多い。その環境に疑問を感じているのであれば行動を起こすべきだ。皆がそう言っているし……誰も動かないし……「仕方がない」では何も変わらない。自分の時間は自分で作るしかない。
僕の場合は仕事を辞めてサラリーマンを脱するに至ったが、やり方は人それぞれあるだろう。まずはその方法を考えることから始まる。考えることを止めれば、大多数の「常識」とやらに縛られていくだけだ。
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