知識を持っているとか趣味が同じとか話していて楽しいとか、そういった要素を一切省いても純粋に『人』として好きになれた友人は彼が初めてだった。
ドイツ・ベルリン在住時、僕は2人のドイツ人と同居していた。
1人は30代の男。
いつも部屋にこもっていたので、ほとんど交流は無かった。
もう1人は50代の男。
彼が、今回の主役である。
彼の事を知る人に会うたび、「He’s crazy」と口を揃えて言った。
確かに、彼はクレイジーだった。
だが、クレイジーに振る舞う時間の何十倍もの時間、彼は苦しんでいたのだ。
ベルリンで共に暮らしたクレイジー同居人
同居人との出会いは、僕が住む場所を変えようと部屋を探していた時だった。
僕の前に彼と住んでいた人が自国に帰国するとのことで、その人がSNS上で次に住む人を募集していたのだ。
僕は部屋を見たいと伝え、ベルリンの西側にあるそのアパートに自転車で向かったのだった。
部屋を見て驚いた。
壁に直接絵が描かれている。
異世界に入ったようでワクワクした。
その部屋の所有者である彼とは一言二言だけ話をしただけで、僕はその場で住むことを即決した。
彼は姿からしてユニークだった。
頭はてっぺんが禿げているが、髪は長髪にして結んでいる。
顔はいいほうだと思う。
同居人と会ったことのある母親も妻もかっこいいと言っていた。
瞳は綺麗なブルー。
彼の瞳を見るたびにブルース・ウィリスを思い出す。
だが、面長な上に目の部分を手で覆い隠して笑うので、チンパンジーのようにも見える。
そのように見えるのは腕が非常に長いこともあってのことだろう。
背中から首にかけては盛り上がっており、アダムスファミリーの執事と同じフォルムだ。
そんな姿で長い腕をぶらぶらさせながらトボトボと歩き、 笑う時はケンケンのように「ウッシッシッシ」と笑った。
姿格好も仕草も愛嬌のある人だ。
彼は絵描きであり、自転車修理工であり、失業者だ。
ほとんど仕事の話はしたことが無い。
ドイツは失業者が多い。
だが、失業者に対する国からの支援が手厚いため、同居人のように暮らしていけるのだと別の友人から聞いた。
笑いたい時は一緒に笑い、苦しむ時は一人で苦しんだ
「この部屋にはひとつだけルールがある。ひとつだけだ。」
同居人と暮らし始めた最初の日、僕らはキッチンでビールを飲みながら話をしていた。
彼は親指を立てながら、「ひとつだけルールがある」と言う。
彼が部屋のルールを伝えてきたのは後にも先にもその時だけだった。
行動を制限されたり注意されたりすることは、一緒に住んでいる間一度も無かった。
「それぞれに用事がある時は必ずノックをして呼び出そう。」
僕らが住んでいた部屋は3DKという間取りだった。 それぞれ専用の部屋があり、キッチンやバスは共有だった。
このルールに僕は大賛成だった。
というのも、アメリカ留学時に部屋にノックも無しで当たり前のように入ってくる友人たちに辟易としていたからだ。
賛成する僕の目を見て、彼は続けた。
「それ以外は自由だ。俺たちは自由だからだ、わかるか?」
「ああ、わかるよ」
僕が答えると、彼は「ウッシッシッシ」と笑い、ごにょごにょと何か呟くと突然立ち上がり自分の部屋のほうへ歩いていく。
面白い奴だな、と思った。
キッチンの様子を眺めながらビールを飲んでいると、スリッパをパタパタさせながら彼がキッチンに戻ってきた。
両手いっぱいの絵の具やクレヨンを持って。
彼はまた「ウッシッシッシ」と笑い、キッチンの壁に迷うことなく絵の具を塗りつけ始める。
そして腹を抱えて笑いながら僕のほうを見るのだ。
僕は立ち上がった。
「僕も描いていい?」
「描きたければ描けばいい。お前の自由だ。」
そうやって彼と僕の共同生活は始まった。
それから何度もそのような時間を共に過ごした。
まさにルール通りだった。
それぞれの部屋のドアは境界線。
笑いたい時は一緒に笑い、苦しむ時は自分の部屋でそれぞれ一人で苦しんだのだ。
「He’s crazy」
彼はよく友人を紹介してくれた。
彼の友人は何かしら表現活動をしている人が多く、絵描き・ミュージシャン・舞台役者なんて人もいた。
彼は友人を部屋に招くと必ず僕に声をかけてくれた。
そのおかげで、彼らのライブや展示会・舞台を観に行ったりと交流も増えることとなった。
そういった交流の中で、同居人を知る人に会うと必ず言われることがあった。
「He’s crazy」
会う人会う人全員に言われるので、後のほうでは笑えてくるくらいだった。
「彼と住んでるの?彼、クレイジーでしょ。大丈夫?」
そう親身になって聞いてくる人もいたくらいだ。
そう、確かに皆が言う通り、同居人はクレイジーだった。
酒を呑むと必ずと言っていいくらい人を困らせたし、一緒に出かけた時はセキュリティの屈強な男と揉め出したこともあったくらいだ。
そう、彼の友人である舞台役者の女性の公演を観に行った時のことだ。
その女性とは、彼が部屋に招いた際には芸術関連の話を一緒にしたり、3人で別の友人のライブに行ったりしたこともあった。
ある日、同居人が彼女の舞台公演のチケットを2枚受け取ってきた。
彼と僕の分を用意してくれたのだ。
公演は一人でおこなう無声舞台とのことだった。
当日、おめかしをした同居人と僕は共に公演会場へ向かった。
会場は、とあるビルの一階にあった。
最近建てられたであろう綺麗なビルだった。
そのビルに入る際に一悶着あった。
入り口でチケットを渡しビルに入ったところで、同居人が手に持ったウォッカの小瓶を持ち込まないように注意されたのだ。
女性に声を掛けられて、最初は穏やかに話していた彼だったが、途中から口調が荒くなっていった。
それを見てセキュリティーの男性が加わり、激しい言い合いとなってしまったのである。
彼はそれでも一歩も引かない。
長い手をブンブン振って、早口で怒鳴り散らす。
最終的に、彼はウォッカの中身を綺麗な床にぶちまけて会場へ入ってしまった。
呆れる受付女性と怒るセキュリティーの男性。
そして、取り残された僕。
ドイツ語で色々言われたがよくわからないので、僕も会場へと入った。
会場は舞台の前に50名ほどの席が用意されていた。
先に入った同居人はすでに席につき僕を呼んでいたが、あえて離れた席に座った。
それがまずかったと今では思う。
間も無く開演となり、照明は落とされ、会場内は真っ暗になった。
舞台に、友人の女性が現れる。
一人だ。
しんと静まった中、無声劇が始まる。
だが、静かなのは最初だけだった。
……同居人が騒ぎ始めたのだ。
主に彼女の名前を叫んでいたのだが、ストリップショーを見ているかのように合いの手をいれたりする。
僕は顔を覆った。
無声劇で声を出すなど、しかも役者に話しかけるなんてことは最悪の態度に違いなかった。
結局、劇が終わるまで彼は騒ぎ続けた。
途中、他の観客やセキュリティーから注意を受けていたが、それを振り払って大声をあげていた。
劇が終わった後も、彼は他の観客から非難されていた。
そんな中、彼は僕を呼んだ。
「帰るぞ!」と。
途端に非難の対象に僕も加わることとなった。
僕は彼を止めるべきだった。
非難も当然である。
クレイジーに振る舞う時間の何十倍もの時間、彼は苦しんでいる
劇を見に行った次の日、寝ていた僕はドアがノックされる音で起こされた。
ドアを開けると、ひどくしょげた彼が立っていた。
「Sorry, I was crazy last night…」
クレイジーなのはいつもだろと思い僕は笑ったが、彼は少しも笑わなかった。
コーヒーでも飲もうと誘ってキッチンに移動したが、うつむいたまま「すまなかった」としか言わない。
「僕のことは気にしなくていいから、彼女に一緒に謝ろう。」
そう言って、別の日に彼女に会って謝った。
劇から1ヶ月間は、彼はあまり部屋からでてこなかった。
時々キッチンなどで会ってもほとんど話もせず、少しも彼は笑わなかった。
そんな時は、僕から誘うことはせず、ただただ彼の回復を待った。
この部屋のルールと同じだ。
踏み込む時にはノックが必要なのだ。
彼が自分から部屋を出て、他人のドアをノックする気になってようやく、彼は自由になる。
それまでは自分の部屋で苦しむしかない。
そんなことの繰り返しだった。
クレイジーに振る舞う時間の何十倍もの時間、彼は苦しんでいた。
彼は英語が達者ではなかった。
僕はドイツ語がほとんど話せない。
言葉では言いたいことを話せていないし、そもそもお互い聞き取れてはいないはずだ。
だが、共に絵を描いたり、馬鹿なことをしたり、酒を飲んだりする中で、お互いのことは十分理解できていたと思う。
彼と会って割と早い段階から気付いていた。
彼は、自分が自分であることに苦しんでいた。
奔放に生きること、制限を強いられること、他人と共存すること、一人っきりになること、あらゆることに真っ直ぐ突き進んで笑って怒って、傷ついていて苦しんでの繰り返し。
そんな彼を見て、人間らしいなと僕は思った。
問題があろうが、クレイジーであろうが、精神的に脆くあろうが、『人』である彼が好きだった。
7年ぶりの再会
僕がベルリンから日本に戻る日、つまり彼と暮らした部屋を出る日、彼はずっと泣いていた。
感情がそのまま表情にでる彼らしいことだ。
彼は僕のことを「友人であり家族だ」と言ってくれた。
僕もそう思ってると伝え、ハグして部屋をでた。
日本に戻ってからも彼とはメールで連絡をとっていた。
相変わらず謎の写真を送ってきたりと、クレイジーさは保っているようだった。
日本に戻ってきてから7年経った去年、結婚を機に新婚旅行でベルリンに行くことにした。
ベルリンに妻を案内したかったのだ。
そして、同居人に会わせたかった。
ベルリン行きを決めてすぐに、彼にメールを送った。
だが、待てども一向に返事がこない。
そこそこ高齢でもあるし何かあったのか。
それとも引っ越してしまったのか。
全く状況がわからないままベルリンに向かう日となってしまった。
連絡が取れないものの諦めきれない僕は、妻と共にレンタルした自転車で彼と暮らしたアパートに向かうことにした。
しかしながら、僕の適当な性格が災いし住所も電話番号も控えておらず、うろ覚えで向かうことになる。
7年前の記憶を辿りつつ迷いながらも、なんとか目的のアパートと思われるところまでたどり着いたものの、景色が変わっていることもあって確信がもてずにいた。
アパートの入り口に行ってみると、同居人の名字と同じ名前があったのでブザーを鳴らしてみる。
ブザーを鳴らした後に、部屋の人間がボタンを押すとアパートの入り口の鍵が開く仕組みだが、何度押しても鍵が開かない。
出かけているのか。
もうここにいないのか。
ほとんど諦めかけていた。
そもそもこのアパートなのかどうかも不安になってくる。
「多分ここなんだけど」
妻にそう言いつつ、道の逆側から住んでいたはずの2階のほうを見てみたところ、覚えのあるバルコニーがあった。
当時のままだった。
同居人の部屋のバルコニーに違いない。
あのバルコニーで、よく2人でふざけたものだ。
このアパートに違いないし、彼はまだ同じ場所に住んでいる。
会いたい。
僕は最後のチャンスと、今度は確信を持ってブザーを押した。
……鍵が開く音がした。
ドアを開けてアパートの入り口から入ると、間違いない、住んでいたアパートだ。
2階へと階段をあがると、同居人が部屋のドアを開けて怪訝そうにこちらを見ていた。
「俺だよ!」
声を掛けてから少し間があったが、彼もすぐに気付き、中にいれてくれた。
口を手で押さえて驚いている同居人。
懐かしい身振りだ。
久しぶりの思い出が詰まった部屋。
その匂いが、住んでいた頃の気持ちを一気に思い出させてくれる。
当時と同じようにキッチンに案内してくれた。
彼は驚いて状況が理解できていないようだった。
新婚旅行で来たこと、連絡をしたけど返事がなかったことを伝えた。
連絡がとれなかったのは、パソコンが壊れていたからのようだった。
また、彼が驚いていたのにはちょっとした巡り合わせがあったそうだ。
当時一緒に住んでいる頃に僕は彼に箸をプレゼントしたことがあった。
いつもはフォークで食事をする彼が、たまたまその箸で食事をしていたとのことだった。
「食べ終わった頃にブザーが鳴って、ドアを開けたら君だったんだ!」と驚いていた。
……食事中だったからなかなか出なかったのね。 こっちは諦めるとこだったよ。
我に戻った彼は、当時と同様、ユニークなそぶりで話始めてくれた。
彼は僕がプレゼントした絵や、亡くなった祖母が当時遊びに来た時にプレゼントした焼き物も大切に持っていてくれた。
変わりなく壁に絵が描いてある部屋と、クレイジーで優しい友人は、簡単に自由な気持ちを思い出させてくれた。
しばらくキッチンで話した後、僕らは近くのカフェに食事に出た。
酒を飲みながら、当時一緒に住んでいた時のことや、そのあとのことを話した。
あっという間に時間は過ぎる。
食事を終えてアパートまで一緒に歩いている途中、彼は酒屋で酒を買ってプレゼントしてくれた。
その他にも、ビールをたくさん買ったようだった。
「もう少し寄っていくか?」
アパートの前で彼は誘ってくれたが、次の日にベルリンを発つことになっていたので断った。
彼は「そうか」というと僕の顔を見るのをやめて背中を向けた。
前回部屋を出る時もそうだった。
クレイジーなくせに、寂しがりで、かわいいやつだ。
僕は彼の身体を自分のほうに向かせてハグした。
「またくるから」
そう、伝えた。
彼は別れ際はこちらを見ず、アパートに戻っていった。
ビール瓶がはいった袋をぶらさげながら、トボトボと。
たくさん買ったビールは一緒に飲みたかったからだろう。
そして、こっちを見ないのは、どうせ泣いているからだろう。
さっきまで相変わらず「ウッシッシッシ」って笑ってたくせに。
日本に戻ると、パソコンが直ったという彼からメールが届いた。
I am back on Net.
Many thanks to you, and I will wish all good luck in the new year.
arigato.
seiko o o-inori shimasu ganbatte-kudasai.
こちらこそだ。
いつもありがとう。
コメント
kentaro-takano(id:kentaro-takano)さん
手違いがあって記事を出しなおしてしまい、コメントが消えてしまいました…。
背負っていながら面白い。ピエロ、なるほどです。
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人を楽しませるけれどどこか背負うものも感じさせる・・・ピエロを思い出しました