妻との京都旅。北野天満宮を訪れた僕らは、続いて文子天満宮を目指します。
文子天満宮は天神信仰発祥の神社であり、北野天満宮の前身神社でもある由緒ある神社。
僕らが文子天満宮に行くきっかけとなったのは、「文子」という名前。実は、妻も同名なのでした。
神社は決して広くないですが雰囲気は温かで、妻がいただきたいと望んでいた御朱印やお守りもかわいらしく素敵。念願の参拝は忘れられないものとなりました。
天神信仰発祥の神社「文子天満宮」
北野天満宮を訪れた後のこと。
今回の旅で一番訪れたい場所と妻が希望していた文子天満宮へと向かいます。
文子天満宮の名にもなっている文子とは、多治比文子(たじひのあやこ)のこと。学問の神として知られる菅原道真の乳母をつとめていた方です。
そんな多治比文子が祀られていることを知り、自分とも同名であることから、妻が訪れてみたいと言い出したのでした。
文子天満宮へのアクセスと開門時間
文子天満宮は京都駅から徒歩10分のところにあります。
細い通り沿いにあるため、「文子天満宮」の看板を目印に向かうとわかりやすいかと思います。
間之町通という通り沿いに入口がありますよ。
開門時間は午前7時~午後7時となっています。
注意点として、北野天満宮の境内にも末社の文子天満宮があります。妻は最初こちらが目的の文子天満宮だと思っており、慌てて実際の文子天満宮へと移動しました。お間違えのないように。
文子天満宮を参拝
菅原道真公の乳母(うば)をつとめていた多治比文子(たじひのあやこ)は、自分の家の庭に小さな祠
(ほこら)をもうけ、道真公を拝んでおりました。そんなおり、天慶5年(942)道真公は多治比文子に北野の右近の馬場(現在の北野天満宮の地)にまつってもらいたいと託宣(お告げ)され、天暦元年(947)に
北野天満宮が鎮座されました。
このように北野天満宮が創建されるきっかけをつくったのが、多治比文子だったのです。
前述の引用が「北野天満宮の前身神社」と称される由縁。
菅原道真を「天神」としてわが国で最初におまつりをした神社であることから、文子天満宮は「天神信仰発祥の神社」と位置づけられているのです。
広くはないですが、どこか温かみを感じられる居心地の良い境内。
写真は多治比文子の像。境内には多治比文子にまつわるものが多く見られます。
本殿の御祭神は菅原道真。相殿には伴氏(菅公御母君)、是善公(菅公御父君)、多治比文子の三柱が祀られています。文子殿には菅原道真と多治比文子が祀られています。
境内には菅原道真にまつわるものも。
境内奥には、太宰府へ左遷途中に立ち寄った際に腰掛けたという「腰掛石」もあります。
あやこさんは是非参拝を!かわいらしい手作りお守りや御朱印
さて、参拝をした後にぜひ見ていただきたいのが、文子天満宮オリジナルのお守りなど。
どれも手作り感の感じられる、かわいらしいデザインのものばかり。
妻が手にしたのは、文子様をイメージした着物姿のお守り「文子守り」。かわいいですよね。
一願成就ということで、何をお願いしても良いそうですが、一体のお守りにつき一つのお願いで持つ形になります。
そして、こちらが文子天満宮の御朱印。初穂料は300円です。
北野天満宮の神紋である「星梅鉢紋」と同様、梅が象られた印が押されています。
文子天満宮には、全国文子会という同名の名前のつく方々とのネットワークの輪をつくることを目的とした会があるそうです。会に入らなくとも、同名や近い名前(あや等)であればお声掛けくださいとウェブサイトにも書いてあります。
妻の名前も「文子(あやこ)」。同名だったため、ご神職にお声掛けさせていただきました。文子天満宮の名入りのボールペンをいただきましたよ。妻にはとても良い記念になったようです。
まとめ
妻が行きたいと希望したことで訪れてみた文子天満宮。
文子天満宮は天神信仰発祥の神社であり、北野天満宮の前身神社でもある由緒ある神社。その歴史はもちろんのこと、お守りや御朱印もかわいらしくおすすめの場所です。
あやこさんに特におすすめの神社ですが、そうでなくともぜひ参拝してみてほしい神社ですよ。
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