友人の川端くんと行ってきたバーが良い感じだったので気持ちが良い、ishikawaです。
川端くんとは十数年来の付き合いです。
その間に紆余曲折ありましたが、今では若き日と同じく気持ちにフィルターかけることなく話せる相手です。
今日はそんな川端くんとバーで酒を交わしながら、話していて大切だと思ったことを綴ります。
僕としても忘れたくないので。
自分が作るモノは誰のために何のためにあるのか
川端くんは、このブログで何度か紹介していますが、木を彫ってネコの形を生み出していたりします。
彼とは高校以来の友人ですが、自分の表現をすることについて話したことがあまりなかったので、双方の意見を交わしてみました。
どのような意識でモノを作るか
結論から言うと、僕らの答えは「自分で良いと思ったモノを作る」でした。
僕はベルリンのアートマーケットで自分の作品を売っている時、「自分の表現」なのか「人に喜ばれるモノ」なのかの結論が出ずに揺れている時がありました。
これは自分の表現が確立していなければ難しい判断かと思います。
最終的には自分が作っているモノが愛でられれば、どちらにせよそれは嬉しいはずだからです。
それでも、ベースとしては「自分で良いと思ったモノを作る」という意識があるべきだと僕は思います。
それに対し、「当然そうでしょ」と川端くんは言っていました。
そう、当然なんだよな、と改めて痛感しました。
ファック、日本の固定観念。
「アートか工芸か」2つの価値観の間でイライラしたとき
僕は美術系の専門学校の絵画科という、デッサンや油彩画の描き方などを学ぶところに2年間通っていたことがあります。
その2年間の勉学を終える集大成、卒業制作展で印象深い出来事がありました。
卒業制作展で発表する作品の仕様が説明された時、縛りが多すぎて僕は疑問だらけになってしまいました。
サイズが決まっているのは元より、平面作品で、支持体はキャンバスでないといけない、とのことでした。
僕はすぐに職員室に向かい、「サイズを変えたいし、なんで平面じゃないといけないのかわからないし、キャンバスではなくパネルを使いたい」と抗議しました。
ですが、「統制をとるためにルールは必要」との理由から、僕の意見はひとつも通りませんでした。
全く理解できませんでした。
自分の表現をするために必要な技術を身につけるために学んできたのに、結局その技術を利用する頭を養おうとしていないとしか思えませんでした。
不満に思った僕は、授業で描き進める卒業制作展用の作品は適当に済ませ、卒業制作展と全く同時期に学校下にあるギャラリーで個展をすることにしました。
個展のために自分の作品を作ることにしたのです。
卒業制作展用の作品について講師に囲まれながら自分で説明をする授業で、僕は自分の卒業制作展用の作品については素直に「やる気がなかった」ことを伝え、個展に気持ちを傾けたので見て欲しいと伝えました。
講師の面々には全く伝えず急に展示したので、皆驚いていました。
その行動自体にも賛否両論でしたが、僕は全く気にしていませんでした。
ですが、講師が次々と言うある言葉を、僕は聞き流すことができませんでした。
「お前の作品はアートじゃなく工芸だ」
「はい?」って口にでちゃいました。
なんだか、「アートと芸術って違うんだよ」ってくだらない話と一緒にしか聞こえませんでした。
カタカナと漢字の違いしかわかんねーよ。
「じゃあアートってなんすか。どうやったら俺の作品はアートってやつに分類されるんすかね?」と聞いたところ色々と話をされましたが、結局のところ具体的な話をしてくれた人はいませんでした。
具体的な話も出来ず、売れる売れないの話も出来ず、結局卒業制作ですら型にはめようとしていたら、彼らが一体何を教えようとしてるんだか僕はわからなくなりました。
そんな話を川端くんにしたところ、「卒業制作展を棒に振って、それと同時期に自分の表現で個展をする、その気持ちと行動自体を作品と思って欲しいよね」と言ってくれました。
まさに、僕の気持ちを表した言葉でした。
本当にそうなんですよ。
クラスメートの大半に「何を無駄な時間を」みたいな冷めた顔をされたこともよく覚えてるんですよね。
自分の表現をしようとしないなら絵なんか勉強すんなよ、といまだに思います。
お絵かき教室いこーぜ。
人が作ったモノに対する対価
日本では自分でモノの価値を見極められない人が多く、「皆に馬鹿にされるんじゃないか」とか考えてしまうのか、周りが良いと言っているモノが良いモノと思い込んでいる人が多いのだと思います。
モノの価値を決めるのも、自分なんですけどね。
まとめ
なんだかんだ色々描きましたが、今となってみると、腹立たしい経験もその後のベルリンでのアート活動に役立ったした気がします。
何にせよ、自分発信で表現をすることは素晴らしいことだと思います。
それらを受け止める姿勢が日本に文化として馴染んでいくことを祈ります。
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