青空個展。
手作りでものを作っている作家さんが作品を売る場。
フリマ。
その青空個展に妻と友人が参加するとのことで、僕もついていってみました。
どっぷり冬の寒い時期なので客足はさほど伸びなかったのですが、普段いない場所に長い時間身を置くことで気付かされることがいくつかあったのです。
普段いる場所とは違うところに長い時間身を置くこと
今回の青空個展の会場は池袋西口公園。
IWGP。
流行っていた頃の世代だったので、西口公園と聞くと『池袋ウェストゲートパーク』が思い浮かぶ僕です。
石田衣良原作、宮藤官九郎脚本のテレビドラマ。
好きだったなぁ。
若い頃、この公園にはよく来ました。
待ち合わせに使ったり、座ってただただ喋ったり、と。
フリマに出店しに(正しくはお伴しに)くるなんて、あの頃は考えもしなかった。
時が流れを感じて感慨深いのもありますが、それよりもあの頃の空気や匂いを思い出すといいますか。
揺れる。
心が。
その感覚が、今の自分にとってはどう感じられるのか、楽しみだったりするわけです。
当日は快晴。
青空個展だけに、雲ひとつない青空。
気持ちがいい。
ふと空を見上げると、青空以外何も視界に入ってこないのです。
素の空。
青蒼碧。
街の中で空を見上げても、視界には建物や電線が入り込んできてしまいます。
真っ裸の空を、久しぶりに見た気がします。
太陽を背に鳥が飛ぶ。
青空とビルとオブジェ。
池袋は休日の朝と言えども人が多く、道を歩いていく人々や、公園を訪れる人たちを眺めて時間を過ごします。
出店している方々の寒そうにしている姿や、道を行く若者の声。
フリマについてきたと言っても接客する必要はないので、僕には時間があるのです。
普段いることのない場所にいる時間を楽しもうと思いました。
9時から準備しにきて、16時までのこのフリマ。
公園に、しかもこんな芝生もない都会の公園に、1日中いることなんてなかなか無いでしょう。
面白い。
過ごした時間と場所の関係は密接
公園の中で様子を見ながら過ごしていると、大体の人の編成や、人の流れ、物の場所なんかが把握できてきます。
公園の入り口付近の座れるスペースには、ひっきりなしにお弁当やパンを食べる人が訪れる。
喫煙所付近には喫煙者がたむろしている。
フリマを見に来た人たちは、日なたから日陰へと移動する。
そして、その人々の間を闊歩するホームレスたち。
飽きない。
昔見ていた西口公園とは写り方が違いますが、雑多な面白さはあの頃と近い匂いで感じます。
朝一から酒(ワンカップ)を取り合うホームレス。
「もうあいつはこの公園にはいれねぇ」と怒鳴るホームレスの長(と思われる方)。
一部分を切り取るだけでもストーリーが作れそうな、そんな面白さ。
午前中をそんな風に楽しんだ後、公園に来てから5時間ほど経った昼過ぎに、腹が減って公園の外のコンビニへ。
昼食を購入して公園に戻ったときに、ちょっと不思議な感覚がありました。
「帰ってきた」
公園の入り口を入ったときにすれ違ったホームレスの方をなんだか親しい人のように感じ、景色や匂いや音が自分に近いものに感じられてなんだかホッとします。
そのときに、過ごした時間と場所の関係は密接なんだな、と気付きました。
時間を過ごすときには、必ず場所があります。
時間を過ごすときの気持ちは、時間を長く過ごすことによってその場所にも浸透するような気がします。
今は、この場所が僕にとっての居場所になったのかな、と考えていました。
カップヌードルを食べながら。
『池袋ウェストゲートパーク』での西口公園
テレビドラマ『池袋ウェストゲートパーク』での西口公園もそんな『場所』として描かれていたように思えます。
だから、物語が進むにつれて公園の外での出来事に巻き込まれていくマコト(主人公)を見て寂しく感じたのかな、と。
人は自分の居場所にいるときが一番『らしく』いられるのでしょう。
この日の入り口はこんなでしたが、
僕の頭の中にはこんなイメージがありました。
同じところで、しかも外で1日時間を過ごすことなんてなかなかないので気付きませんでしたが、時間と場所についてふと考えた機会となりました。
僕にとってのこの日の居場所は、西口公園でした。
ちなみに池袋西口公園の英語名は、池袋ウェストゲートパークではなく、「Ikebukuro Nishiguchi Park」だそうです。
まとめ
この日1日を思い返してみると、雲ひとつない青空が僕の気持ちをリセットしてくれたことで、その後に触れた風景や匂いや音を素直に受け取れたのかもしれません。
フリマがなければ西口公園に1日いることもなかったと思いますので、貴重な経験となりました。
何事も「面白い」と思ってみることは大事。
そう感じながら公園を後にしました。
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