住んでいる部屋を出て歩き出した。
共に住んでいた友人は国に帰ってしまった。
2人で過ごしていたアパートの部屋は、1人になるとこれでもかというくらい静寂に包まれる。
静寂と言っても完全には静かではない。
静寂の中では普段聞こえないような音が聞こえるようになる。
ブーンという虫の羽の音のような電気の音。「静かだ」と感じられる一種の超音波のような高い音。
静寂は時にうるさい。
静寂に包まれた部屋を出て街へ
「静かだ」と感じられる音は耳に障る。
うるさい、というか耳がキーンとして痛い。イラつく。
だから、僕は外に出た。
外に出て、歩きまくることにした。いや、歩こう決めて歩き出したわけではなく、気が付けば外に出て歩いていた。
むしゃくしゃしていた。
友人は志半ばで帰国した。帰国を促したのは自分だったが、それを告げた時の彼の安堵した表情が頭から離れない。イライラする。
そして、帰国しなければならないくらいに彼がなってしまうまで救ってあげられなかった自分にも腹が立っていた。
静かすぎる1人ぼっちの部屋が嫌になり逃げ出したのか。
はたしてどうなのだろう。とにかく”留まるのが嫌”で歩き出したように思う。
氷点下の中を歩き回る
季節は冬。
住んでいたベルリンは雪は少ないものの、さすがにドイツだけあり冬は冷え込む。
歩き出してすぐに、外気温が表示された掲示板が目についた。
氷点下だった。
マイナス表示なんて東京にいる頃はほとんど見たことなかった。
何も考えずに部屋を飛び出してしまった。急に寒く感じてくる。
辺りはすっかり暗くなっていた。
目的地などない。ただ、足はネオンが輝く賑やかな方へと向かっていた。人恋しかったのかどうかはわからない。
賑やかな駅付近に差し掛かると、街の明るさに眩暈がした。
ネオンがやけに攻撃的に感じる。
目から入ってくる情報は、心のフィルターを通ることでいくらでも表情を変えるようだ。
この頃、外に出る時はカメラを片手に外出していた。
思いつきで飛び出したにもかかわらず、この夜も僕の手にはカメラがあった。
撮った写真はどれもブレていた。
気持ちを表しているようだと、後で見て思ったものだ。
眩い場所が嫌になり暗がりのあるほうへと歩いた。
凝り固まりがちな感情は、闇と共存しているような灯りの中でこそイメージが見えやすいと僕は思っている。
日常の眩い光の中では、眩しくて見えない。
歩き回っている途中、謎の男に出会った。
いや、出会ったようなのだ。
曖昧なのは、ほとんど覚えていないからだ。
彼と出会った記憶はかすかにあるのだが、顔は思い出せないし、何を話したのか、むしろ話をしたのかもうろ覚えだ。
しかし、彼は写真の中に何度か登場していた。
とはいえ、僕の前を歩いていたり横にいたりと顔は写っていない。
もしかしたら話してもいないのかもしれない。
だが、彼が笑った時の口元の表情だけがなぜか鮮明に頭に焼き付いていた。
そしてその口元の表情は、僕のそれに似ている気がした。
一人ぼっちで歩いている自分を頭の中でクローンして歩いている人に投影したのか。今でもこの時のことを思い返すと不思議な気分になる。
彼が他人であろうと、僕が作り上げた幻想だろうと、共に歩いたのは間違いなさそうだ。
歩いていると色々なアプローチで”出会う”ことができる。
この夜、僕は氷点下の中を数時間歩き回った。
アパートの部屋に戻ったのが深夜だったのを覚えている。
僕は歩くのが好きだ。
ポジティブな理由から歩くのはもちろん好きだが、ネガティブな感情がある時も留まらずに歩いたほうが良いと思っている。
歩くということは進むことだと考えている。
歩いて結局家に戻ってくるとしても、留まるよりはきっと前に進んでいるのだ。
コメント