「生きる意味」「人生の目的」僕ら人間には疑問がいっぱいだ

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僕ら人間が生きる意味ってなんだろう。

僕は小さい頃にある病気にかかり、その1年前にできていた薬が無ければ死んでいたか、もしくは重度の障害を持つことになっていたらしい。
その薬のおかげで僕は助かったが、「天寿を全うすることはできない」と医者に言われたのをはっきりと覚えている。

母が泣き崩れたからだ。
それ以前に母が泣いたのを見た記憶がない。

幼い僕にはなんのことかわからず「てんじゅをまっとうって何?」と母に聞いた。
ちょうどテレビで汚職事件と言っていたのをお食事券だと思って「うらやましい」と言い、母を笑わせていたくらいの頃だ。

そんな僕に、「長生きはできないってことだよ」と母はまっすぐ答えてくれた。

それから僕は生きることと死ぬことについてよく考えるようになった。
いずれ人は死ぬ、っていうことをはっきりと意識するようになったのだ。

成長するに従って、「人間が生きること」には、ただ生きるだけでは済まされない悩みや苦しみがあることを知った。

人間は大変だ。

だが、僕が生きていられるのも人間だからである。

生きる意味の本質と人生について考える

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単純に動物が生きている状態と、人間が生きている状態には違いがある。
人間には知能がある。

人間として知能を発揮して生きることが根本的に動物的に良いかどうかは置いておいて、知能を持ち合わせた限り人が悩んで学んで生きるのはまっとうだと思う。

知能がある限り、知能をもっているからこそ、答えにはたどり着けない。

人間は悩み続ける運命にあるのだ。

生きる意味が分からない

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仕事がしんどいとか、友達と心から思える人がいなくて寂しいとか、思いっきり後悔したときとか、そんな時にふと生まれてくる疑問がある。

「生きる意味が分からない」

こいつは厄介な奴で、一度疑問が浮かぶと頭から離れず、全身のあらゆる気力を奪い続ける。
頭から足まで枷がついたようになって身動きがとれないのに、意識は朦朧としてひたすら地を向こうとする。
全身が土に還ろうと誘ってくるような感覚に付きまとわれる。

こいつに取り憑かれると長い。
だって、生きることに意味を見出すことなんて無理だもの。

というか、生きることに意味を持たせること自体に、意味がないと思うのだ。

生きること = 呼吸をして心臓を動かして食べて成長すること

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生きることっていうのはただただ成長することだと思う。
成長し続けて、最後には死ぬことだと思う。生き物だからね。

ひたすら呼吸をして、心臓を動かして、成長するために食べて、それができなくなったら死ぬ。
それが生きるってことだ。

だから、「生きる意味がない」ってことは無いはずなのだ。

「生きる意味が分からない」ってときの意味っていうやつは、そういった生きることの本質の部分のことではなく、周りに付属するオプションのことを言ってるんじゃないかな、と思う。

なんだか重くなってきたから気の抜けた例えにしようと思う。

カツ丼に例えて考えてみよう。

自分でも頭の悪い例えだというのはわかってる。知ってる。

でもカツ丼おいしいよね。うん。
僕はカツ丼が大好きだ。

そんなカツ丼に、甘辛く煮たカツも玉ねぎも卵もなかったらどうだろう。

そこにはただの白いご飯が残る。

この白いご飯が、生きることってやつなんだ。

白いご飯だけだってお腹はいっぱいになるし、満たされる。
生きることだって同じで、それだけで死ぬまで生きれるのだから充分なはずなのだ。

上にのせる具は人間だからこそ欲しくなるただのオプション。

もちろん、僕だって甘辛いタレで煮たカツが欲しい。
卵が絡んでて、玉ねぎも入っていたら、よりおいしくご飯が食べられる。

生きることにしたって同じで、ただただオプションが欲しいだけなのだ。
友達は欲しいし、恋人は欲しいし、金は欲しいし、うまいものも食いたい。
そういった欲や他者や物がからんでくると、本質を見失いがちになる。

僕は白いご飯があれば充分だ。

あ、嘘。
お新香くらいはつけたい。人間だから。

生きること ≠ 人生

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人間だから、と言ってみた。
いや実際人間だし、呼吸してれば幸せなんてそうそう思えない。

だから僕は、『生きること』と『人生』は違うものだと思う。

生きることの本質は、ある程度動物的に考えないと理解しづらい。
『人』って感覚が介入した段階で、欲が多分に関係してくる。

人生ってやつは、『生きること + 欲のオプション』だと僕は思う。

人生楽しくない

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「人生が楽しくない」って悩みをよく聞く。
この悩みこそ、欲のオプションの影響をもろに受けている結果だ。

カツ丼の例えでいうと、ごはんは大盛り、具は多めで、時にはつゆだくにしたくなるのが人ってもんだ。

楽しいか楽しくないかはに左右される。
きっとこれは人間だからこその悩みだ。

人生を楽しくするにはその欲とどう付き合うか、なのではないだろうか。

その欲には他人がひも付いていることが多い。

人に認められたい」「異性にモテたい」など、他人のレスポンス無しでは達成できない欲もある。

そういった他人が関わる欲を満たすには、自分が面白くなることが必要になってくるのだ。

つまらない人間とは欲のオプションを解消することができないため、つまらない人間の周りには人が集まらない。

最近人生つまらないなと思ったら、まずは自分自身を見直す必要があるように思う。

人生の目的

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では人生の目的とは何か。

生きることっていうのはただただ成長することだと思う、って書いた。

本質的には生きることに意味も目的もいらない。
けれど、『生きること』と『人生』は違うので、僕は人生には目的があっていいと思う。

人生の目的ってやつも欲のオプションに密接につながっているのだ。

人間の欲は果てしなく、また、求めれば求めるほど掴めば掴むほど、欲ってやつは大きくなっていく。
その欲を掴むために、目的を決めたっていいと思う。
人間らしいと思う。

人生の目的は人それぞれ違うはず。

だから目的はこう持つべき!みたいなのも本来無いと思うのだ。

それと不思議なのは、全ての欲を満たしてお腹いっぱいで死ぬことが最良なのかと考えると、意外とそうではないものだ。

ここには答えは出るもんじゃないし、のんびり考えていくとしよう。

まとめ

きっと僕らがここまで知能を持たなかったら、食べることと繁殖のためだけに日々一生懸命生きていたのかもしれない。

だけど僕らは知能を持って、知能を持ったからこそ悩んでいる。
だったら大いに悩んで生きていこうじゃないか。

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから うれしいんだ

ってね。

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